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シーボルトハウス

日本地図

シーボルの胸像

植物園ライデン市

日本の写真整理

 

上記の写真は2009年(5月19日~6月10日)にライデン市に滞在中に撮影した物です。

 

1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。(スライド写真)

 

日東第一景勝
弁天島といろは丸
弁天島
弁天島と舟
仙酔島から

 

1826年正月シーボルト鞆の浦に上陸!!

文政9年(1826)正月27日江戸参府(4年に1度の江戸上り)のオラ ンダ人と御纒御役人らを乗せた日吉丸が潮待ちのため同日夜9時半頃鞆に入港した。翌二十八日に出港の予定でしたが風悪く雨模様のため中村家の近くの浜に碇 泊し入港から出港迄2日にまたがり鞆の浦に上陸したと記しています。

 

(シーボルトと鞆の浦)

オランダの医師のシーボルトは1826年5月18日の日記に次の事をのべています。私は江戸に行く途中に鞆の浦を訪問し、医王寺などを見学した。その他、植物や昆虫を観察し、彼はその様子を日記に記録している。シーボルトは鞆の浦の町について賛辞をしています。彼は(鞆の浦は舟の往来で非常に活気があり、美しい小さな町である)と述べている。

この時シーボルトは医王寺の他に小松寺を訪問しています。この内容はシーボルトハウス(ライデン市)に収蔵されている。その内容(備後土産小松寺庭松図)・(平重盛の手植えの松)の案内図。これらの物はシーボルトが同寺を訪れた時に入手した物と思われる。

 

(SIEBOLD and TOMONOURA)
Doctor in the Netherlands Siebold is describing the following thing in the diary May 18, 1826. I visited TOMONOURA on the way in going to Edo, visited the IOO temple etc. , I observe the plant and the insect, and he is recording the appearance in the diary.
The eulogy of the town of TOMONOURA is done as Siebold.
He (TOMONOURE is a very lively in the traffic of the boat, and small beautiful town) is describing.
This age Siebold is visiting the KOMATSU temple besides the IOO temple.
This content is stored to the Siebold house (Leyden City).
Information map of the content (figure of BINGO souvenir KOMATSU temple garden pine) and (SHIGEMORI TAIRA NO TEUENOMATSU)
These things seem things obtained when Siebold visits this temple

 

Document of Siebold house.
                        The description that concerns TOMONOURA is shown in a Dutch language.
                 (Sparre boom Zij in tempel Komatstera gelegen in's dorp Tomo in's Landschap bingo)

 

 

 

 

シーボルト事件
幕府に提出された伊能図は、江戸城紅葉山文庫に秘蔵され、一般の目に触れることはなかった。あまりに詳細な地図のため、国防上の問題から幕府が流布を禁じたためである。しかし、文政11年(1828年)紅葉山文庫を所管する書物奉行でもあった高橋景保が、長崎オランダ商館付の医師であるシーボルト(1796年 - 1866年)に禁制品である伊能図を贈ったことが露顕し、高橋景保は逮捕され、翌年3月に獄死した(シーボルト事件)。しかし、日本を強制退去となったシーボルトは帰国後の1840年に、伊能図をオランダでメルカトル図法に修正した「日本人の原図および天文観測に基づいての日本国図」を刊行している。その精度の高さにより、当時のヨーロッパ識者の一部に日本人の測量技術の高さが認識されることになる。

 

幕末の伊能図
開国後の文久元年(1861年)、イギリス海軍の測量艦アクテオン号(Actaeon)が、「攘夷派をあまり刺激しない方が良い」との幕府の勧告を無視して日本沿岸の測量を強行しようとした際、たまたま幕府役人が所有していた伊能小図の写しを見て、その優秀さに大いに驚き、測量計画を中止して幕府からその写しを入手することで引き下がったという。なお、このときの伊能図の写しを元に1863年にイギリスで「日本と朝鮮近傍の沿海図」として刊行され、日本に逆輸入されて、勝海舟(1823年 - 1899年)の手によって慶応3年(1867年)に「大日本国沿海略図」として木版刊行された。これにより伊能図を秘匿する意味がなくなったため、同年には幕府開成所からも伊能小図を元にした「官版実測日本地図」が発行され、小図のみとはいえようやく一般の目に供されるようになった。
伊能忠敬は日本地図製作のために全国を測量しています。北海道は伊能忠敬が行った10回の測量旅行の中でも記念すべき第一回目でした。
1800年閏4月19日から10月21日までの180日間、3,224キロメートルの測量徒歩旅行の最終到達点は、北海道東部「ニシベツ」(現:別海町本別海西別川河口南岸)でした。そしてこのニシベツが伊能忠敬の測量した最東端(最端)となりました。

 

(アメリカの地理学者が制作した幕末の日本地図)

シーボルト事件に関連する地図(Map of Japan that relates to Siebold event)

 

 

( 日 本 に お け る シ ー ボ ル ト の 家 族 ) Siebold's family in Japan

( Explanation of photograph )
Siebold and his wife (Otaki).
Little girl period (Ine)・Grew up (Ine Kusumoto).

 

シーボルトは花の中で紫陽花を好んでいたようです。

『日本植物誌』には、14〜17種類?が紹介されています。和名オタクサという名前が、「お滝さん」の意味であることを明らかにしたのは、箱根の植物研究家の沢田武太郎でした。
シーボルトがつけた学名は Hydrangea macrophylla Ser. va. Otaksa です。Hydrangeaは「アジサイ属、macrophyllaは「大きな葉の」という意味です。今日のオランダでは5月の末から6月の初めに路上花屋さんにて色んなお祝いの贈り物として,愛されています。2009年5月・6月ライデン市に滞在中、その光景を良く見ました。

 

ライデン市 ( シーボルトハウス ) ヘリンク

( P L R A S E )

www.sieboldhuis.org/jp/