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4 - 明 治 初 期 の 写 真 の 中 に 神 辺 城 が 見 え る    

 

 

 上記の伏見櫓と連結している二階櫓を多門櫓と言います。そして伏見櫓の左(神辺二番櫓)・右(神辺一番櫓)の櫓をこの写

 真の中から見る事が出来る。上記の3枚の写真は廃藩置県(福山城の櫓取り壊しは明治6年、西から取り壊しが始まり明治

 10年に最後の櫓月見櫓が壊され、廃藩置県後に残された櫓は天守閣・伏見櫓・筋鉄御門・湯殿・鐘櫓のみ残され、その

 他の櫓は昭和二十年八月の空襲によって伏見櫓・筋鉄御門・鐘櫓の3櫓は偶然残り天守閣・湯殿は蔵焦土化しました。

 築城時の福山城の規模で3つの記録が有ります。

 1・(多聞櫓) 櫓と櫓の間を結ぶ連結廊下を持つ櫓の事。福山城の多聞櫓の総延長は291間あり大阪城・名古屋城に続く3

      番目の規模です。

 2・(3櫓の櫓数) 福山城の三櫓の櫓数は(7櫓)で大阪城・岡山城に続く3番目です。

 3・(上水道の規模) 福山城の上水道の規模は江戸の神田上水道に続く2番目の規模です。

 

福 山 城 入 り 江 ス ラ イ ド シ ョ ー

 

 下 記 へ ど う ぞ